Updated 23/10/19
 

批評

 

 

レコード芸術2015年10月号推薦盤

幼い頃から海外で育ち、海外の大学で研鑽を積んだ藤田3姉妹が結成したピアノ三重奏団による、メンデルスゾーンの2曲のピアノ三重奏曲を収めたアルバム。

彼女たちはそれぞれ幼少時より各楽器を学ぶだけでなく、室内楽にも力を注いできたようで、1999年にはロンドンのウイグモア・ホールにもデビューしている。イギリスをはじめとして、すでにヨーロッパ各地での活動も盛んなようで、今後の活躍が期待される団体である。

その演奏だが、3人のそれぞれが非常にしっかりした技巧を持つと同時に、表現力についても各自が明確な主張を打ち出すだけの強い個性を備えており、その意味で小じんまりとまとまってしまうことなく、3つのパートのソリスト的な妙技を聴くうえでも十分な聴き応えがある演奏となっている。しかも、これは子供のころから培ってきた長い経験のなせる技でもあろうが、互いのパートに対して相応のリスペクトを持った目配りが行き届いており、室内楽的に見てもなかなかバランスの取れた、緻密で呼吸がぴったり合ったアンサンブルが京成されている。

最初に収められているハ短調作品に見せた豊かなテンペラメント溢れる情熱的な演奏もなかなかの好演だが、続く有名な二短調作品において、歌の溢れる抒情性とファンタジーの豊かさを生かしながら、終楽章で徐々に音楽が高揚し、圧倒的なクライマックスを形成していく様はまさに圧巻。
今後大いに活躍を期待したいアンサンブルの登場だ。

中村孝義

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2016年3月8日英Cockermouth(湖水地方)の批評。(英文オリジナルはこちらです

「フジタ・ピアノトリオは以前にもコッカーマス音楽協会で演奏したことがあるが、今回の演奏会ほど素晴らしい結果を出したことはなかった。

今回の演奏は、驚くほど素晴らしい演奏(a stunning performance)としかいいようのないものであった。この3人の日本人姉妹達は暗譜で演奏するのだが、これ自体際立った行いなのだが、この3人の素晴らしい音楽家達には全くごく自然なことなのである。 彼女達の生来の音楽家精神と彼女達の間に流れる共感が織りなされることにより、最高レベルの演奏が生み出されるのである。

藤田めぐみは驚くべきピアニストであり、そのパワーは本当に尋常ならざるものであるのだが、彼女はまた ソフトに、そして卓越した繊細さで演奏することが出来るのである。

ハイドンのハ長調ピアノ三重奏曲は、はじけるように きらきらと輝き、歌い上げる楽しさそのものの音楽であった。これに続く ラヴェルの偉大なイ短調ピアノ三重奏曲の
演奏は、素晴らしくパワフルな瞬間と感動的な美しさとのコントラストとで忘れられないものであった。 藤田ありさのヴァイオリンは要所ですばらしく清澄に歌い上げ、藤田ほのかのチェロが美しくこれを補い、そして常に藤田めぐみの信じられないほどのピアノ演奏がそれらを支えていた。

演奏されるのは稀であるが非常に美しいベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品70第2番変ホ長調がこの夜を締めくくった。 ワールドクラスの三重奏団によるすべての点で深い満足を得られた演奏であり、我々は彼女達のレベルの演奏を聴くことができ大変幸運であった。」

 

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英国Musical Opinion誌 2004年1/2月号

またもや日本人音楽家の技量は、10月2日のSt.Johns'Squareにおいて注目を浴びた。ここではフジタ・ピアノトリオが、ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのベートーヴェンの三重協奏曲で独奏者をつとめた。

3姉妹は、お互いに励ましの微笑を交わし、音楽を楽しむという偉大な心を聴衆と分かち合い、演奏全体を通じ強い一体感を示した。

とりわけ藤田ほのかは、チェロの難しい独奏部と、妹の藤田ありさとの対話の部分で深い感動を与え、ありさは、ヴァイオリンから、Largoで絹のような叙情的音を、またRondoで名人芸の演奏を引き出した。

藤田めぐみは、華麗さの少ないピアノのパートを表情豊かに演奏し、三重奏の部分でグループを統一した。

Margaret Davies

 

 

 

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英国Musical Opinion誌 2003年9/10月号

藤田ありさ(ヴァイオリン)藤田めぐみ(ピアノ)
2003年6月6日 
ウィグモア・ホール リサイタル(ロンドン)

フジタ・ピアノトリオのメンバーで、現代音楽の第一人者として知られている、この才能に恵まれたフジタ姉妹は、6月6日にウイグモア・ホールにおいて、際だって印象的なリサイタルを開催した。ヴァイオリンのありさは姉のめぐみと共に、シューベルトのハ長調ファンタジー、D934を完璧に演奏してその幕を開けた。
イザイの6つの無伴奏ソナタ作品27は、未だにヴァイオリンのレパートリーから離れてはいないが、その第4番ホ短調は輝かしく感動的な演奏であった。
2曲の現代音楽のうち、アレクサンダー・ゲールのヴァイオリンとピアノのための組曲作品70はロンドン初演であった。これは2000年に作曲され3楽章からなり、中間楽章のRainsongは最も直接的な感銘を与えた。また武満の悲歌は典型的な印象派の音楽であった。

リサイタルは、フランクのイ長調ソナタの見事な演奏をもって終了した。

 ROBERT MATTHEW-WALKER

 

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クラシック輸入盤2002(音楽の友社)
レコード芸術誌 (日本) 2001年11月号

わが国の新進ピアノ・トリオ、藤田三姉妹により昨年十二月に収録された武満徹の室内楽十作品アルバム。CDタイトルは末尾のプログラム《ビトゥイーン・タイズ》に依る。因みにこの曲のみがここでの三重奏作品である。メンバーの藤田めぐみ、ありさ、ほのかの三姉妹は、それぞれピアノ、ヴァイオリン、チェロを担当。アンサンブルでの相互の連携と相性も良く、感性上の共有点も多いように感じられる。作品への適正も手伝ってだろうが、全体として瑞々しい中にしなやかさと伸びやかさを湛えた心地よい演奏となっている点に筆者は好感を覚えた。おそらく彼らは、現代ものの実践にあっても常に屈託のない感覚を求め続けているのではないだろうか。言い換えれば、ごく自然に掌に乗る、しかも新鮮な音楽の在り方を追及しているかのようでもあり、それがこちらの共感を呼ぶのだろう。各奏者の技術も十全。武満作品の息遣いをよく読んだ佳演と思う。

宮崎 滋(作曲

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American Record Guide誌(米国) 2002年1・2月号 

武満:室内楽及びピアノ独奏曲
フジタ・ピアノトリオ - ASV1120 72分 

 ASVの見事な録音は、私が聴いた武満徹のピアノ曲とピアノ・弦楽曲の中では最良のコレクションである。この日本人作曲家の作品は、卓越した感性とニュアンスを持って演奏しなければならないが、武満が伝えようとしたのが虹色にきらめくスクリアビン風のハーモニー、時間を超越した恍惚の言語に絶した想像力であると考えれば起こりがちな、画一的な神秘主義に流されることは許されない。
依然として武満の音楽は、その絶妙に形造られ表現された(愛情深く反映された)楽句、モティーフの厳格な発展及び明確で(もし他に例がなければ)大規模なアウトラインにより、独特のやり方で驚くばかりに規律され精緻なものとなっている。それは、メシアンにはしばしば欠けていた方向感覚と論理的構造を併せ持っているが、その偉大なフランス人の影響は武満の作風に表われている。

以上を強調したのは、フジタ姉妹の最上級の技巧と理解による武満作品の演奏を聴き、今、何故私が他の人のいただけない演奏に失望することが多かったか分かったからである(前号で批評されたポール・クロスリーの武満ピアノ全曲集GMN114は試聴していない)。
例えばピーター・ゼルキン はよく武満演奏の権威とされるが、メグミ・フジタ のLitany及びRain Tree Sketch IIの演奏とゼルキンの解釈(RCA68595,Mar/Apr 1997)を比較すれば、何故私がフジタがはるかによいと思うか明らかとなる。ゼルキンは音楽を引き伸ばして薄くし、すべてを希薄なものとしている。その結果、変化に欠け、自己を甘やかして形を不明瞭にし、感情表現のインパクトを薄くしている。
Rain Tree Sketch IIの場合、ゼルキンは、より躊躇いがちで省略的な第1テーマのように憂鬱に第2テーマ - 軽快に滑る主題(「喜ばしく」と注記されている)- を演奏した。彼は単純に繊細さと、武満の楽譜で要求されている間違えようのない気分の転換を無視した。フジタは第2テーマを流れて歌う - 確かに、喜ぶとなる - ものとして、格言的な第1テーマへの回帰が、どこへ行くことも出来ない無限の堂々巡りのようになることを避けた。

ピアノの5曲(Romance, 子供のための作品集、Litany及びRain Tree Sketchの2曲)、ヴァイオリンとピアノの二重奏3曲(Distance De Fee, Hika及びFrom Far Beyond Chrysanthemums)、チェロとピアノのOrionも見事であったが、武満の室内楽曲の傑作Between Tidesの演奏はただ“magnificent(壮観)”と言うほかはない。死の3年前に書かれたこの15分のピアノ三重奏曲において、武満は長い間探求してきた沈黙と同じくらい強烈な音を真に完成させた。曲の最終部分は - 曲のインパクトを完全に感じるためには、最後まで聴かなければならないが - 胸が張り裂けるほど美しく、それは西洋音楽、東洋音楽を問わず、またこの場合のように両方を兼ね備えたあらゆる音楽の中で例えようもない。

Mark L.Lehman

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Diapason 誌(フランス) 2002年2月号

フジタ・ピアノトリオによる武満Between Tides CDの批評:5点中の5
ステレオ・イメージ:10点中の8
鮮明度:10点中の8
音質:10点中の8
強弱:10点中の8

 武満徹は詩情という天賦の才能を有しており、これは収録されたすべての作品で確認されている。1948年のピアノ曲Romanceから1993年の三重奏曲Between Tidesに至るまで、作曲法が常に同様ではないとしても、少なくともそこには同質の霊感、夢が浸透した音楽の展開における同様の自由、同様の瞑想と自然との関連が存在する。これは偉大な日本の創造者が常に有した一面である。

収録された10作品(うち2曲のみが10分を超える)は「俳句」の細密画に似ているが、この相違は、絶えず我々をフランスの伝統へ押し戻そうとする音楽の世界では無視出来ないものである。もし誰かが、1948年のRomanceがドビュッシーの未だ知られていない前奏曲だと主張しても、誰もが喜んで信じるだろう。3年後に作曲されたDistance de feeはラヴェルを思い出させる。すでにメシアンはピアノ曲Litany - in Memory of Michael VynerのLento misteriosoで想起されるが、Rain Tree Sketch IIにおいて武満はin Memorialとしてメシアンに敬意を表している。我々はフランス音楽を取り上げているので、1979年の子供のためのおいしくて意地悪な小品(微風と雲)に関連し、ここでプーランクやサティの名に言及するのは行き過ぎであろうか。

その音楽にフランスとの関連が多く漂っているとしても、詩の源である瀧口修造(まさにDistance de feeと題する詩がある)及び大江健三郎(数時間も雨だれを保持する豊かな木の葉の描写は、Rain Tree シリーズの元となった)を通じ、日本音楽が微妙に織り込まれている。

日本の音楽家達は、この音楽を伝えるために演奏する。フジタ3姉妹は優美、夢想的、繊細で、かつ非常に純粋な自然の芸術が持つ簡素さを如何に保持するかを知っている。

Claude Samuel

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Repertoire誌(フランス) 2002年1月号

武満のCDの比較
フジタ・ピアノトリオ(10点中の9点)
Paul Mefano指揮のEmsemble 2e2m(10点中の8点)

 

aa秋の到来とともに木の葉が枯れ、雨が戻って来る。武満の水彩画を録音するというのは冗談ごとではない。また、彼が自らを書いたというのも冗談ではない。これが「From far beyond chrysanthemums and November fog」である。毎年、自然に我々の骨、とりわけ耳は1年ずつ年をとる。「Between Tides」の潮のように規則正しいこれらの再現を通じ、最近この世を去った教師の思い出がどのように展開して行くかを「見る」。

素晴らしい私的な秋を味わっているPaul Mefanoは、すぐれたEnsemble 2e2mを用いて、断定的な内容の荒れた武満の曲を選んだ。そこではすべて標題に雨か水のついた作品が驚くほど徹底的に集められている。その日本人のニュアンスはフランスの影響の産物であるため、特に普通とは殆ど逆のやり方がとられた。(武満の)作品は作曲家、指揮者及び4つのコーナーを持つ6辺形の国の国民としてのMefanoにより周知される。

 我々は、時に武満と映画音楽の作曲家Janus IIの関係に近づくことがある。これは効果音を用いた映画音楽のことであるが、形容詞の「安易な」という語を性急に効果音という語に使用するべきではない。この意見を弁護することは非常に容易であり、Mefanoがまた大仕事を望んでいることを明らかにしている。彼はWaldteutel(注、フランスの作曲家)との和合以来、真の(音楽的)生活のための様式を発達させた。長い間現代音楽に携わってきた彼は、恐らくこのゲットーから逃げ出したいと切望している。彼が大胆でなければ、彼はただそのゲットーから現代物を取り除きたいのであり、これが現在の傾向の一端である。

 フジタ・トリオの武満の演奏は、小さな飾り物のように繊細で、もっと心の奥底から日本的、恐らく武満的であるためには、Mefanoよりもフランス的であるべしという日本の逆説をよく処理している。この繊細なプログラムは、、生徒から教師までを対象とし、あらゆる人の喝采を浴びる全作品を網羅している。1982年から作曲されたRain Tree Sketchの優雅及び郷愁と、10年後にメシアンに献呈された曲(注、Rain Tree Sketch II)の苦痛及び本質的なものとを比較することが出来る。またオーストリア放送から委嘱された曲Orionには「新ウィーン楽派」に向かう傾向さえも識別出来よう。

 大きな興味を抱いた発見は、非常に旋律的な子供のためのピアノ曲である。これはHelmut LachenmannのKinderspielの例に続き、あらゆる年代の若者と熱心な人達及びその教師に対し、新しいピアノの展望を開くものである。 
Jean Vermeil

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英国The Strad誌 2001年9月号

フジタ・ピアノトリオ リサイタル 
2001年6月26日 ウィグモア・ホール、ロンドン


aa20世紀の日本音楽は、フランス印象派から強く取り入れたものであることが、ドビュッシーの三重奏曲で始まったこのリサイタルで明確に示された。

フジタ達は、第1楽章の軽快でラプソディ風の特徴を、表情を損なうことなく捉えていた、しかし、この曲並びに全般的にヴァイオリニストの藤田ありさの音は、姉ほのかの大胆なチェロに比べ小さいように思われた。第2楽章の気晴らし的かつスパイキーで東洋風な面はよく把握されており、アンダンテ・エスプレシーヴォの広々としたロマンチックな旋律は、懐旧的な壮大さをもって上品に彩色されていた。最終楽章では、乱気流がよく判断され輝かしく処理されていた。

武満の、ヴァイオリンとピアノのための無常ではかないDistance de feeは、物語風の筋をもってメシアンの調和と黙想的特性を結合させ、ドビュッシー的な美学とよく適合していた。メシアンの影響は、ヨーロッパ初演となった一柳慧のトリオ・ファンタジーにおいても明白に現れていた。これはメシアンのVingt regards sur l'enfant jesusの如く、穏やかなピアノ和音を主題に用いている。

シューベルトの変ホ長調の三重奏曲は我々を西洋に呼び戻した。ここでもフジタ達はやってのけた。第1楽章ではもっと旋律の豊かさが欲しく、骨張った律動的な楽句反復低音の第2楽章は、幾分死の舞踏的であったかも知れないが、彼女らは素晴らしく軽快なタッチでスケルツォを演奏した。各演奏者に技術的な欠点はなく、視覚的なサインによるコミュニケーションは若干不足していたものの、音楽的な結果はおのずから明らかであった。

Edward Bhesania
写真説明 フランス風味のフジタ・トリオ 

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英国BBC Music Magazine誌 2001年10月号

ASV CD フジタ・ピアノトリオ 武満徹 作品集 “Between Tides”

 収録された10曲のうち最後の1曲、Between Tidesのみが実際にピアノ三重奏のために書かれたもので、他はすべて独奏曲や二重奏曲である。しかし、このCDで年代順に聴くことは、武満徹の成長と、1996年の死後とみに人気のある円熟した作曲様式を彼がどのように磨いてきたかを示す手頃な地図を提供してくれる。

ピアノのためのRomanceのみは彼の死後に発見されたもので、彼が第2次世界大戦以後に始め、2年後のヴァイオリンとピアノの曲Distance de Feeに見るメシアンの調和の世界により、豊かになった作曲手法の旅の出発点が、フランス音楽一般、とりわけドビュッシーであったことを示している。追って第2ウイーン派がこの組み合わせに付け加えられ、ヴァイオリンとピアノのためのHikaにWebernの簡潔さの強い反映が見られたが、結局、より有力な手本だと判明したのがBergの表情の豊かさであった。ピアノ曲Rain Tree Sketch以後、武満の作曲様式は完成し、その音楽の各構成要素を分割することは不可能となった。独特で、静寂かつ断定的な調子の詩が、ここであらゆる部分を流れて行き、常に美しく心に描かれ、絶妙に形作られている。

Andrew Clements

演奏 ☆☆☆☆
録音 ☆☆☆☆

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英国Gramophone誌 2001年10月号

ASV CD フジタ・ピアノトリオ 武満徹 作品集 “Between Tides”

「武満の、精緻ではっきりとした香りがつけられた音楽を概観した有益なもの で、満足すべき演奏である」

 このCDは、武満の最も初期の作品のひとつであるピアノのためのRomance(1948-49)から、ピアノ三重奏のための重要な作品であるBetween Tides(1993)までを年代順にたどったものである。このCDはフジタ姉妹のデビュー盤と思われるが、非常によい録音で、響き渡っており、三つの異なる楽器は効果的に均衡がとれていて不自然さは感じられなかった。時折、私は、少なくとも長い曲においては、演奏者が緊張を維持し、豊かな表現を強めようと試みるよりは、音楽の圧迫感に慎重に対応し過ぎず、「永遠」を強調したのかも知れないと考えた。しかし、時々みられる劇的瞬間を軽視せずに部分的な控えめな表現を強調することが、武満の際だった作曲様式の核心に達するかについては議論の余地はある。

このように年代順に並べたことにより、フランスをモデルにした初期のもの(Distance de Feeにフォーレを感じる)から、1966年のヴァイオリンとピアノのための小品で、真の現代世界であるHikaに至るまでの作曲家の進歩を容易にたどることが出来た。武満の成熟し調和のとれた作曲手法は、チェロとピアノのための作品であるOrion(1984)及び、以前の作品に手を入れたものであるがピアノのためのLitany(1989)に一層濃密に現れている。Litanyの厳粛な感覚と依然として卆直な情緒的形式は、Between Tidesを含む最近の作品に引き継がれている。Between Tidesでは、波打つ雄弁と静かな抑制の対比を通じ、海の永遠の動きが呼び起こされている。

藤田めぐみのピアノ独奏が、小川典子やピーター・ゼルキンの武満の独奏曲全曲のCDよりも優れているとは云わないが非常に満足すべきものであった。また、特にアンサンブルと独奏曲を組み合わせたことにより、このASVの新リリースを価値のある推薦できるものとした。


Arnold Whittall

写真の説明 武満徹: ASV発売のアンサンブルと独奏曲の価値ある組み合わせ

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英国The Strad誌 2000年9月号

フジタ・ピアノトリオ リサイタル
2000年6月5日 PURCELL ROOM (ロンドン)


aa幼少の頃より室内楽を共に演奏して来たフジタ姉妹は、選んだプログラムに取り組む力を充分以上に身につけていた。この演奏会は楽しいものであり、全曲を暗譜で弾いた3人の演奏家(ヴァイオリン:ありさ、チェロ:ほのか、ピアノ:めぐみ)は、完成した音楽家であることを証明した。

演奏会はジュディス・ウィアのピアノ三重奏曲(1997)で始まった。これは全3楽章が同様に重要と思われる作品である。第1楽章では独奏の流れで2声の伴奏に対抗し、3人のすべてにその能力を証明する機会を与えた。第2楽章はより活気に満ちていた。第3楽章は模倣的構成を用い、随所にフォーレ及びバッハを想起させる部分があったが、このトリオはいずれの様式にも巧みに適応していた。

ベートーベンの「大公」作品97の第1楽章の意気揚々としたパッセージと親しみ深いところは、姉妹が持つ強弱法の卓越した広がりにより、よく掌握されていた。フジタ姉妹は第2楽章のスケルツォーアレグロにおいてアンサンブルの真の姿を示し、その律動的な精密さは最終楽章のハイライトであった。

ラヴェルのピアノ三重奏曲イ短調は技巧的な作品で、このグループに向いていると言う点では理想的なように見えた。演奏家達は全体を通じて強弱法を十分に使用し、第3楽章及び第4楽章ではフォルティシモに達するまでのクレッシェンドで会場を殆ど震わせた。

JULIETTE BARBER

 



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